©Megumi Okubo

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2014年7月2日水曜日

リズムと調和とストーリー






















   フィンランドの近代建築の父と呼ばれ、ユーロになる前のマルッカ時代にはお札になっていた建築家がいる。アルヴァ・アールトだ。じつは私はこの人の人となりというのが、建築家として今でも愛され、伝説のように語り継がれる一因だと思っている。独特な言葉遣いで、感覚的で愛すべき語彙を駆使して思いを伝える建築家。時にはイタリア語や英語、スウェーデン語の単語が混ざっていたり、それがフィンランド語の語尾変化をしていたりといった具合なのだが、本人は大まじめだし、わかりにくい複雑な言葉を使うというわけでもない。

   例えば“Mass”という英単語がある。手元の英和辞典によると「1.かたまり、2.群、大群」などという意味なのだとか。フィンランドの建築家が使う言葉の一つに“massoittelu”という言葉がある。業界用語のようなものだが、この“Mass”から派生した言葉だ。かたまりとか、異なるヴォリュームを配置することを指すのだ。建物をうまく並べてきれいに見せるという事がとても大切なのだ。それによって内部空間にも、外観にもリズムと調和をつくりだす。

   そう、リズムというのは他者、周辺環境との調和が無いとできないものだし、それによって街の景観が豊かになっていく。私が外装デザインをした納骨堂だが、出来上がった際に言われたのは正面性の無さだ。宗教施設という建物ではあるが、インパクトのあるシンボル的な形でもなければ求心的な要素もない。私が考えたのはこの建物の役割だ。お寺という宗教施設のなかで最も中心となるべきものは本堂だ。そして地霊でもある、もともとのお墓たち。周辺には小田急線高架があり、集合住宅も近い。いわゆる閑静な住宅地の中の納骨堂なのだ。そして世田谷という古くからの伝統ある土地柄やイメージ。特別なことではなくて、毎日でも故人に会いに行ける都会のお墓。そんなことを考えていくとこの建物が周辺になじむこと、ボリュームはともかく本堂やもともとのお墓群から際立って目立つことの無いよう、心がけたのだ。
 
    じつは日本人の宗教観に関しても考えている。仏教のお寺であるが、建物が人の心にできることというのがあるのではないかと思っているのだ。神仏の像といった求心的な宗教的シンボルと違って建物はその場を作り、演出して人を包み込む。私はこの建物が墓参に訪れる方々を優しく包み込むような、美しい光が癒してくれるような優しい建物にしたいと思ったのだ。もちろん外装デザインという限られた枠組みの中でそれを余すことなく実現できるわけではない。しかしそれが目標であり、心意気であったのだ。