©Megumi Okubo

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2014年6月25日水曜日

美しく加齢するということ











   私は拙著の中でヘルシンキの建物が40年ちょうどで、いわゆるエイジクライシスを迎えるという話を書いた。それは統計的な数値だが、人々の感情も踏まえた様式の周期、設備などの機能からくるものだ。日本の住宅は20年そこそこで建物としての資産価値を失うとか35年くらいのローンを組む人が多いとかいう言葉を聞くと、30年くらいで建物がひとつの山場を迎えるのではないかという気がしている。そしてお寺の永代供養というのはなんだか100年ほども、そのまた先も供養し続けるように聞こえるが、実際は33回忌までの事らしい。

   前回から書いている納骨堂に関して、私は長く受け継がれてきたお寺の歴史、33年という弔いの歳月とその先の事、若い副住職など、過去と未来という時間に思いを馳せた。ヘルシンキの学校では建築史や美術史といった歴史の授業がたくさんあり、細かくみっちり教わる。私も執筆をする際には当時の教科書や参考文献を何度となく見直している。その上でよく言われるのが建物は今現在を体現すべきものだということ。デザインはもとい、建築というのは年月をかけて発展してきたものであり、設備も材料も現代の物を使うことで経済性や社会性などといったことに配慮することができ、今後の発展につなげることができるという考え方なのだ。だから隣に新古典主義の建物があったからと言って現代に新古典主義の建物を建てるというのではなく、そこに調和するという敬意を払いながら当時の“現代”の建物を建ててきたことでフィンランドの街ができている。私もその考え方に依るところは大きい。

   じつは私がこの納骨堂の外観をデザインするにあたっては、このお話をいただく前にすでに計画が出来上がっていた。平面計画はもちろんのこと、外観も計画がなされていたのだ。しかしながら外観に関して異なる選択肢が望まれたことで私に白羽の矢を立てていただき(?)提案させていただいたものだ。本来の建築設計としては、内部空間との兼ね合いなどを考えると、外壁だけ剥がしてデザインできるものでもない。しかしもともとの設計者のデザインを尊重し、いくつかのアイディアを受け継ぎ、それを大きく発展させていくことで良いチームワークを目指したのだ。そこは、制約の中でのベストを尽くすということであり、建築設計の基本でもあると思う。「白い天然石」というのもそんなチームとしてのアイディアのうちの一つだ。花崗岩のような天然の材料は、きちんとメンテナンスしてあげれば経年変化を経ることで益々に深みを増して、建物の33年とその先の歳月を豊かにしてくれることと願う。
 

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