©Megumi Okubo

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2014年5月29日木曜日

日々の納骨堂



















 

   先日、私が日本に帰国してからというもの初めて手掛けた建物が、完成した。東京都世田谷区にある伏見山成勝寺というお寺の納骨堂だ。私は外装デザインということで建物の外観を設計させていただいた。

 

   自走式の納骨システムというのを聞いたことがあるだろうか。納骨堂に来る参拝者が所定の位置でカードをかざすと、決められた参拝口の祭壇にお骨が届けられ、そこで故人を偲ぶというものだ。こんな説明をするとフィンランド人は驚いて、SFの世界のようだとか、さすがアニメとハイテクの国だねぇ、などと言われることになるのだ。建物の中に組み込まれた機械システムのお墓だが、近年は土地が不足する都心を中心にして多く建てられるようになってきている。お墓のハイテク化とかは賛否両論があるのかもしれない。

 

   私もこの話を初めて伺った際には少し懐疑的であった。どういった空間、建物で故人とどう向き合うのか、近隣との兼ね合い。数千体もの納骨ができる施設の現代における、宗教観や価値観などなどだ。そしてお寺の将来、未来の事なども頭に浮かぶ。設計とはいろいろな要素を絡めて最終的には一つの解を出すわけであり、そこへ達するまでの葛藤は大きい。ましてや故人を偲ぶという大切な感情にかかわる施設ならばなおさらだ。

 

   今回もいろいろなことを考えたのだが、私が納骨堂に関して考える際に拠り所とするイメージがある。それは初めて自走式納骨堂を見学させていただいた際の事。朝から、こういった納骨堂の先駆けとなったお寺を参詣させていただいた。その日は葬儀や法事などが立て込んでいたらしく、少し慌しい雰囲気のロビーを進んでいくと納骨堂の参拝口の一つに小柄なお婆さんがちょこんと座っていた。じっと眺めているのはお爺さんのお墓なのだろうかと思った。その姿は別段に悲しむでもなく、なんだか会話しているかのようだったのだ。毎日いらっしゃるのかなと、ふと思った。日常の一コマのようにとても自然だったのだ。生と死とかいう大問題ではなく縁のあった人に、存分に思いを馳せる場所といったところだろうか。

 

   そんな場所がアクセスに便利な都心の一角にあるということ、そしてそれがこの納骨堂をデザインするにあたっての私の初めの一歩であったのだ。

 

   この納骨堂に関しては思うところがたくさんあったので少しづつ書いていきたいと思う。
 
 
 
 

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